180304(日) セネカ『心の平静について』の要約

こんにちは。

津村小太郎です。

 より簡単な要約を作ります。

 

 (セレーヌスの悩み)

私の心の揺れを抑える妙薬を何かお持ちでしたら、どうか私に教えてください。

 

セネカの回答)

あれこれ欲望を抱く人々は、それが達成できないことにより、自己に不満を持ち、人生に倦怠感を抱く。

この倦怠を克服するには、実生活の活動に従事し、国政に携わり、市民の義務を果たすことに専心するのがよい。

ただし、活動の範囲は国家の状況に応じて拡げたり縮めたりするものである。

 

ところで、われわれはまずわれわれ自身の問題を、次には仕事の問題を、次には誰とともに仕事をするのかという問題を吟味してみなければならない。

何よりも肝要なのは、自分自身を評価することである。

次には、われわれが取り組もうとしている仕事を評価し、試みようとするその仕事の内容とわれわれの能力とを比較してみなければならない。

人に関しては、相手がわれわれの生の一部を費やすに値する人たちであるかどうかを考慮しなければならない。

忠実で心地よい友情ほど心に喜びを与えてくれるものはない。

 

人間が背負う難儀の中でも最大の難儀である財産のことに話を移そう。

われわれは財産を少なくし、運命の不当な仕打ちにさらされる機会を減らすようにすべきである。

人間に降りかかる災厄の多種多様さや不公正さはいかにしても払拭できない。

活動の対象とするものを縮小し、そうすることで運命の矢が的をはずすようにすべきなのである。

 

ところで、君は人生の何かある種の困難に陥り、罠にはまり、その罠を解くことも破ることもできないと言う。

しかし、みずからの置かれた境遇に慣れ、できるかぎりそれを嘆くのはやめて、自分のまわりにあるどんな小さな長所をも見逃さずに捉えるよう努めねばならない。

 

こうした戒めに続くのは、無益なことに労を費やしてもならず、無益に労を費やしてもならないという戒めである。

多くのことをなす者は、往々にして、運に自分を支配する権利を委ねることになる。

また、決して成就すると請け合わなければ、欲望を断念しても、精神の受ける苦痛はそれだけ小さくなる。

 

われわれは心を柔軟にし、予定したことに過度に執着しないようにもしなければならない。

精神には、自己を信頼し、自己に喜びを見出だし、自己の優れたものを尊び、できるかぎり他者のものから遠ざかって自己に専心し、損害を損害と思わず、不運な出来事でさえ善意に捉えるようにさせなければならない。

 

個人的な悲しみの原因を取り除くだけでは、人間存在への憎悪が心を占領することがあるため、十分ではない。

われわれは、俗衆のすべての悪徳を、穏やかな心で受け入れるべきである。

 

続いては、人を悲しませ、不安に導き、それも道理と思われる出来事の問題がある。

善人が不幸な結末を迎える場合がそれである。

そういうときは、苦難に遭遇したとき、彼ら一人一人がどのような態度を示したか見てみるとよい。

 

さらに、不安を生じさせる要因がある。

何とか世間体を繕おうとあくせくし、誰に対しても虚構の生を送る場合がそれである。

率直で飾らず、いささかも自分の性格を覆い隠さない純朴さには、どれほど大きな喜びかあることだろう。

 

われわれは、人々と交わるだけではなく、たびたび自己に立ち返るようにしなければならない。

また、精神を時には緊張から逸らして娯楽に向かせるようにしなければならない。

 

これで、セレーヌス、君は心の平静を保つことのできる手立て、心の平静を回復することのできる手立て、忍び寄る悪徳に対抗できる手立てを手に入れたことになる。

ただし、今しもくずおれようとする精神を真摯な不断の気遣いをもって包んでやらない限りは、こうした手立てのどれ一つをとっても十分に精神という脆弱なもの守ることには十分ではない。